努力に対する認識の違い
最近、努力について様々な意見を聞く。
話題にあがるのは「努力が足りない」という言葉だ。
努力に対して最近は賛否両論あり、否定的な意見の勢いが増しているように感じる。これは「努力が足りない」と評価された者が追い詰められて悲しい結果になってしまうことがきっかけになっていると考えられる。
私はどちらかと言うと努力が足りないと言う側の人間だ(私が指導する側にいる場合指導を受ける者のひとつの評価として伝えている)。今回、多くの人が考える努力と私が考える努力は少し違うのでは無いかと思うところがあり、少し意見をまとめてみたいと思う。
正しい努力は辛く苦しい?
努力とは、辛い状況や苦しい状況に歯を食いしばり、汗と涙を流しながらも耐えて、耐えて険しい道のりを歩んでいくことと考えている人は多いはずだ。きっとその険しい道の先に成功や夢が実現すると考えているのではないだろうか?
確かに今の自分では到底実現することができない成功や夢を達成するには、辛く苦しい状況もあり、頑張らねばならない時もある。
が、しかし…ちょっと違う気もする。
努力とはそんなに辛いことが続くのだろうか?苦しいことばかりだろうか?いや、絶対に楽しいこともあるはず。
私も夢を実現するために努力をしてきた。誰もが無謀と思えることも自分が実現したいと本気で思えることに対して、努力し実現してきた。その中で悔しいことや辛く苦しいこともあり、誰にも知られずに涙したこともあったが、それでも楽しかった。
きっとあなたにも同じような経験はあるはず。
初めて遊ぶゲームや初めて挑むスポーツ、そして初めて学ぶ勉強?で同じ経験をしてきたと思う。
私の知る努力は楽しいことも多かった。
それじゃあ努力ってなに?
私が考える努力は【繰り返し挑戦すること】だ。
失敗しても何度も何度もくり返し挑戦し続ける。失敗してもその経験から学び、修正して再び挑戦する。それを私は努力だと考えている。
失敗したらダメじゃん!と思う人もいると思うが、私は失敗することは全然構わない。逆に早い段階で思いっきり失敗してくれる方が良い。その挑戦ができる限りの全力で最善の策であるならばその失敗から学ぶことは多くなるからだ。
多くの人は成功の途中で失敗することを許さない傾向がある。
それを「努力が足りない」というのだろうが、私に言わせれば指導する工夫が足りていないか、挑戦する時間を与えていないだけだと思う。
指導される側にとってみれば、挑戦している全てのことは未体験であり、それは希望と不安に満ちている状況だ。彼らはその状況をワクワクと楽しめる状態なのか、失敗を恐れて楽しめていない状態なのかでその後の展開は大きく異なる。
しばしば指導する側の私たちは、自身の経験や知識から展開を予測しその結果を得ようとする。しかし、その結果は私たちにしか見えず、初めて経験する指導される側の者たちは混乱を伴って挑戦する。私たちはそのことを忘れがちであり、努力を誤った認識で使ってしまう。
私は努力することが楽しくて仕方がない。
もっと楽しい努力を多くの人に知って欲しいと思う。
失敗してもいいから全力で挑戦しろ!
あ、でも
全力で挑戦しない時は怒りますよ( ̄ー ̄ )
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